]]>
RSS
 

みかんの花咲く丘 

28 5月

2008年5月28日9:03 AM

20080512_minoshima_00_00.jpgみかんの花咲く丘「みかんの花が 咲いている 想い出の道 丘の道」(作詞 加藤省吾 作曲 海沼実)は私の祖母が、私が父の実家がある和歌山県有田市を子供の時に訪れた際よく口ずさんでいた詩でした。父の実家を5月17日に訪れた際、辺り一面に蜜柑の花の香りが立ち込めていました。
父が亡くなった後、一時はその有田市に残っている蜜柑畑を管理者がいないため維持できないという理由で放置していたのですが、とある切っ掛けで「日本の荒れた里山を再生させよう」と言うコンセプトで活躍されているNPO法人である里山倶楽部の代表O氏と知り合い、里山倶楽部の協力を得て再び蜜柑畑を始めることになり約一年が経ちます。
20080512_minoshima_01_00.jpg
この日は、カラー(写真右は収穫したカラー)という名前の雑蜜(実際には、この様な名前の種類は存在しない。以前管理していた方が違う品種を接ぎ木した事により出来た品種で、名前を適当に付けたと思われる。)の収穫、防風林の剪定と剪定した木をチップ化し畑に敷き詰める作業、そして、畑の際目にある石垣を猪が壊しそれを修復してくれとの要望が石垣の下で農業を営んでいる方よりあったためそれに対応するために我が家の男手を引き連れて現地に赴いたのでした。
20080512_minoshima_02_00.jpg里山倶楽部(写真左はきこりを趣味とされている里山倶楽部のI氏。本職はプログラマー京都在住。「きこり歴11年お陰で社内のメタボ検診にもかかりませんよ」との談。見事なチェーンソー捌き!!)の活動は、里山の再生だけに限らず、後継者のいない田畑の維持管理なども対応されているのですが、猪問題はそれらの田畑でどこも深刻な悩みであるとの事です。環境の変化により山中の餌が減り人里へ出没し農作物に被害をもたらすという事がより多くなっているようです。
20080512_minoshima_03_00.jpg何れにしても、まずは、下の畑に落下した50kg近くの石を約20個ほど4m程ある石垣の上へ引き上げる作業を行いましたが、お陰でその後一週間筋肉痛は取れませんでした。その後、前出のカラー収穫と防風林の剪定と剪定した木をチップ化し畑に敷き詰める作業を汗ばむ陽気の中行いました。(写真右はグロッキー気味の我が家男手)


20080512_minoshima_04_00.jpg自然の中での農作業。聞こえは良いですが、とても大変な仕事です。私自身学生時代はこの蜜柑畑の収穫を手伝っていましたが、畑の維持管理がこんなにも大変な仕事であるとは思っていませんでした。実際にこの畑で昨年の秋剪定作業を行っていた里山倶楽部のO氏はスズメバチに体の八カ所を刺されるという目に遭っています。その時は、偶々蜂に刺されたときの応急処置セットを持ち合わせていたので事なきを得ましたが、文字通り命がけの作業です。この日も剪定を手伝ってくださっていたI氏は蝮を見たと言っていました。
この様な、自然の厳しさを知ることは普段忘れている自然の恵みに感謝する良い機会です。そして、この日、柑橘の香り立ち込める中、その昔祖母と登ったこのみかんの花咲く丘を大切にしたいと思いました。

 
No Comments

Posted in general

 

Leave a Reply