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あらゆる尊厳は考えると言うことにある

26 9月

2009年9月26日2:56 PM

「人間は、自然のうちで最も弱い一本の葦に過ぎない。しかしそれは考える葦である。」
-パスカル
確かに、我々が立ち上がらなければならないのは「考える」というところからかも知れません。同じく、パスカルが主張している「だから我々のあらゆる尊厳は考えると言うことにある。」に関しても、なるほどごもっともと、共感を覚えます。
ユダヤ教徒とキリスト教徒という古い笑い話があります。それは、次のような内容です。
キリスト教徒が、ユダヤ教徒の出したややこしい微妙な問題に答えているうちに、相手の禿頭をぴしゃりと音のするほど掌で叩き、今の音は何から出たか?掌からからか?それとも禿頭からか?と質問をし出したという話です。この様にして信仰を巡る議論が、新しい解決不可能な問題に取って代わられたと言うどこかに既視感を覚えるものです。
考えるに、人々の議論とはこの例えにも在る如く、往々にして縁もゆかりもない様々な対象にすっかり取って代わられてしまうものです。
その様なことに悉く心を痛めていては幾ら身体があっても足りません。
理解出来るのは解決不可能な取るに足らない問題に足を突っ込んで居ても埒が明かないと言う事です。
「然るべき問題点を解決し、改善していく事により、より質の高い領域に到達する。」この様に肯定的な生産性にしか興味を覚えなくなってきたと感じる今日この頃です。
先日CABO三年目の活動エピローグになると思っていた(実は違ったぁ〜 その件に関しては別の機会に…)9月19日神戸Varitに於けるライブでのWith Or Without Youの演奏と昨年(約一年前)芦屋レフトアローンで演奏したWith Or Without Youを比較してそんな事を確信しました。

 
 

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