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希代の改革者・指導者Mr. Steve Jobsを偲んで

07 10月

2011年10月7日11:45 AM

vacant reserved seat at key-note address Oct. 4th 2011 at Apple Inc.2011年10月6日午前9時前(奇しくも何時もお世話になっている某氏からiPhone上のSMS経由で)Mr. Steve Jobsが逝去したとの連絡がありました。とても早い段階での連絡でしたので、GoogleでSteve jobsと検索キーワードを入れてもそれらしき記事は出てきません。

「まさかそんな事はあり得ない、誰かそんな事は途轍もないデマだと言ってくれ!」祈る様な想いで検索を続け暫く経つとWall Street JournalによるWEB上でのMr. Steve Jobs逝去の報道がなされていました。

その後、「何をどう考えていいのか、何をどうすれば良いのかわからない」そんな言い知れぬ虚無感に襲われました。それは、恰も1980年にJohn Lennonが暗殺された事を知った時のような無力・脱力感でした。

2011年10月5日午前6時いつものように新宿西口スバルビル前に私が乗車した夜行バスは到着しました。

夢現の頭の中で「そうだ、Appleのキーノートだ!!」と、思い出しました。現地でのリアルタイムキーノートから約4時間後、しかも、今回のキーノートはMr. Steve JobsがCEOを退いて、後任者のMr. Tim CookがCEOとして行う初めてのキーノートなのです。

今までも、Appleのキーノートは可能な限り本番に近い時間で視聴してきました。今回も御多分に洩れず、何はともあれ愛用しているiPhone4ホワイトでApple Inc.のkey-note address(基調講演)視聴を試みる事にしました。

「何時頃からだろう、Apple社の基調講演を3G回線上で、しかも高品質な動画として視聴できるようになったのは? それにしても、Apple社の動画配信技術の進化速度には恐ろしいものがあるな」そのような事を考えながら、約1時間30分に渡る基調講演を視聴しました。

冷静沈着と言う表現が相応しいMr. Tim Cookの基調講演でした。ロジスティックというマーケティング戦略上必須である重要な位置づけにある機能の責任者と言う立場で、最もApple社が躍進した1998年以降Mr. Steve Jobsの参謀としてApple社を成功へ導いた新しいCEOのプレゼンテーションは自信に満ちたものであり、「わかりやすい言語で話す」この簡単なようで最も難しいであろうリーダーとしてのMr. Steve Jobsが持つ資質は少なくとも継承されたとの感想を持った次第です。勿論今まで、Mr. Steve Jobsが行った基調講演時に製品プレゼンテーションを行った実績を持つMr. Scott Forstall, Mr. Eddy Cue, 及びMr. Philip W. Schillerもそのプレゼンテーションスキルを向上させているとの印象を持ちました。


新体制による、新しいApple社の基調講演は非常に安定感のある素晴らしいものでした。ただ、その中で気になったのは行われたプレゼンテーションに対して沸き上がる拍手喝采の都度にReservedと書かれた空席が映し出されるという事でした。

そして、その翌日Mr. Steve Jobsは亡くなったのでした。

2001年に行われた幕張メッセでのMacworld Conference&Expo / Tokyo2001及び、2004年にMoscone Centerにて行われた、Macworld Conference&Expo / San Francisco 2004にてMr. Steve Jobsが病に臥す前の元気な基調講演を行う姿に生で出会うことが出来た事は、今にして思うと、私の人生の中でも、とりわけ大切で特別な機会でした。

Mr. Steve Jobsが12歳のとき世の中は1967年でした。しかも、サンフランシスコの郊外で現在Apple社の本社があるクパティーノの中学校へ通っていたのです。Mr. Steve JobsひいてはApple社を理解するためにはこの背景が大変重要だと思います。「既成概念を変えること、そして、個人の魂の解放」このような時代背景なくして、Mr. Steve Jobsの発想ひいては、Apple社の持つユニークネスは存在し得なかったと断言できます。

1965年にこのクパティーノから目と鼻の先のメンローパークでデビューを飾り、Mr. Steve Jobsもこよなく愛したGrateful Deadの楽曲をMr. Steve Jobsが亡くなった昨日からずっと聞いています。特に、American BeautyというGrateful Dead1970年の代表作の一曲目に収録されている”Box of Rain”という楽曲を繰り返し聞いています。この楽曲は、ベーシストのMr. Phil Leshが間もなく亡くなろうとしている同氏父親の為に作曲しMr. Robert Hunterが作詞したものです。末期症状の癌を患った介護施設に横たわり、まさに亡くなろうとしている父親のところへ行く車の中で歌の練習をしたという曰く付きの楽曲です。

What do you want me to do,
to watch for you while you’re sleeping?
Well please don’t be surprised
when you find me dreaming too

あなたが眠っている間に、あなたを見守るために私に何をして欲しいというのだろう?
どうか、私もまた夢を見ているところをあなたが垣間みたからといって驚かないで…
「リベラル・アーツとテクノロジーの融合」これは、iPadを世に紹介した際にMr. Steve Jobsがその開発を行う上で基本的な考え方として重要視したと、基調講演上で示した概念でした。しかし、これは単にiPadの開発背景とかそういった事ではなく、首尾一貫してMr. Steve Jobsが訴えて来た事でもあります。
私はこの事に思いを馳せた時、いつも嘗て六色リンゴ時代にApple社が行ったThink Differentキャンペーンを思い出します。

クレージーな者達よ
はみ出しもの達、反逆者達、厄介者達よ
四角い穴に丸い杭を打ち込むように
物事をまるで違う見方をする者達
彼らは規則を嫌う。彼らは現状を肯定しない。
彼らの言葉に心をうたれる人がいる。
反対する人も、賞賛する人も、けなす人もいる。
しかし、彼らを無視することは、誰にも出来ない。
なぜなら、彼らは物事を変えたからだ。
彼らは人間を前進させた。
彼らはクレージーと言われるが
私たちは彼らを天才だと思う。
 
自分が世界を変えられると
本気で信じる人たちこそが
本当に世界を変えているのだから…。
 
Think different.
Steve Jobs
芸術とテクノロジーとの融合を既成概念を破る事により実現し、改革を行い続けた創造者であったMr. Steve Jobsへ最大限の敬意をはらい心よりご冥福をお祈りいたします。
 

 
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