2007年2月18日6:02 PM
一生のうち見れるか否かわからない
「京都御所障壁画」
今日が最後だったので行ってきました。
何でも、京都御所の現在の御殿の大部分は、嘉永7年(1854)の火災による焼失後、翌年の安政2年(1855)に造営されたものとの事です。そして、内部の障壁画は、当時のわが国絵画界を担っていた精鋭の絵師達が総動員されて描かれており、それらの作品群は「雅やか」と言う形容が正に相応しい、日本の美を奏でていました。
何より興味深かったのは、総勢97名の絵師達が結集した中で3割が御用絵師系、7割が町絵師系だったそうですが、その町絵師系の中で円山応挙を棟梁とする円山四条派の絵師達が37名と群を抜いて多かった点です。当時の京画壇の勢力図を見て取ることができます。同時に、改めて近世日本美術史における円山応挙の存在の大きさを思い知らされました。
何れにしても、当時の「最高のものを献上する」と言う絵師達の心意気が全体を通して強く感じられました。
例えばこの絵。私には、透き通った青空が木目に代わり見えました。