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それをつかみ取りシェイクしなければロックじゃない

27 9月

2009年9月27日11:24 PM

patti_pic.jpg先日、映画『パティ・スミス:ドリーム・オブ・ライフ / patti smith : dream of life』を見に行きました。
思い返せば、彼女程実像がつかめない人はいなかったのではないかと思います。あのエキセントリックなイメージからして、どんなに怖い人なのかとずっと思っていました。従って、この映画を見る前はきっと取って食われるような映画なんだろうなと少しビビっていたのは事実です。
彼女が生み出した音楽に関しては、1975年のデビューアルバムHorses(彼のMr. John Caleが、プロデュースを行った!!!)からかれこれ30年以上聞き続けて来た訳ですが、絶対彼女の私生活とか想像することが出来なかったのです。
それで、映画を見る前に今一度念のため彼女についてWikipediaで復習をしたのでした。すると思わぬ事実が… 彼女が高校2年生の時に彼女はクラスの道化師に投票で選ばれたというのです。
とにかく、何をどうつなげても訳が分からず頭の中が混乱した状態で映画を見に行きました。しかしながら、それらの無秩序はまるでカオスの語源である「宇宙が発生する以前のすべてが混沌としている状態」が、さも当然であるがごとく時空を平気で超えて一つに融合して行くのでした。(あるいはそれはゼロという概念なのかも知れません。映画の中で、ゼロという偉大な数字の概念を見いだしたメソポタミア文明を彼女が讃える場面からもそのような連想をしてしまいますが…)
この映画『パティ・スミス:ドリーム・オブ・ライフ / patti smith : dream of life』では、大量殺戮を悪とし、George W. Bush(Ms. Patti SmithはGeorge W. Bushと同い年)を糾弾する彼女はまるで般若の如く憤怒し、「私のことロックイコンだとか、持ち上げるのよ恥ずかしいったらありゃしない…」と、はにかみ、下ねたで笑いを取るお笑い芸人としての一面を披露し、ロバート・メイプルソープ "Robert Mapplethorpe"が撮影したというオノ・ヨーコ氏に多大に影響を受けたと思われる彼女自身がパフォームする前衛ダンスを感慨深げに見入る、これら全ての要素が、一つの完璧な円を描きPatti Smithを表現してくれました。
そして、何よりも彼女が、ビート文学の立役者でもあるMr. Allen Ginsbergの詩を朗読する場面では文学が超えられない障壁を超越したその瞬間を見ることができました。
文学は、一面においてはロック等足下に及ばない程円熟しており過激で前衛的でした。その要素を「えっ?何で?これロックにしちゃだめ?」そこで生まれたのがパンク(厳密にはニューヨーク・パンク)だった訳です。そうなのです「それをつかみ取りシェイクしなければロックじゃない!!」この発想こそ正に私の中ではパンクなのです。
前置きが超長くなってしまいました。
何の因果か、そんなMs. Patti Smithが作詞し、ブルース・スプリングスティーン大先生が作曲された"Because the Night"を演奏する機会に恵まれたことにひたすら感謝する次第です。

 
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あらゆる尊厳は考えると言うことにある

26 9月

2009年9月26日2:56 PM

「人間は、自然のうちで最も弱い一本の葦に過ぎない。しかしそれは考える葦である。」
-パスカル
確かに、我々が立ち上がらなければならないのは「考える」というところからかも知れません。同じく、パスカルが主張している「だから我々のあらゆる尊厳は考えると言うことにある。」に関しても、なるほどごもっともと、共感を覚えます。
ユダヤ教徒とキリスト教徒という古い笑い話があります。それは、次のような内容です。
キリスト教徒が、ユダヤ教徒の出したややこしい微妙な問題に答えているうちに、相手の禿頭をぴしゃりと音のするほど掌で叩き、今の音は何から出たか?掌からからか?それとも禿頭からか?と質問をし出したという話です。この様にして信仰を巡る議論が、新しい解決不可能な問題に取って代わられたと言うどこかに既視感を覚えるものです。
考えるに、人々の議論とはこの例えにも在る如く、往々にして縁もゆかりもない様々な対象にすっかり取って代わられてしまうものです。
その様なことに悉く心を痛めていては幾ら身体があっても足りません。
理解出来るのは解決不可能な取るに足らない問題に足を突っ込んで居ても埒が明かないと言う事です。
「然るべき問題点を解決し、改善していく事により、より質の高い領域に到達する。」この様に肯定的な生産性にしか興味を覚えなくなってきたと感じる今日この頃です。
先日CABO三年目の活動エピローグになると思っていた(実は違ったぁ〜 その件に関しては別の機会に…)9月19日神戸Varitに於けるライブでのWith Or Without Youの演奏と昨年(約一年前)芦屋レフトアローンで演奏したWith Or Without Youを比較してそんな事を確信しました。

 
 

ゴーギャン展

07 9月

2009年9月7日9:50 PM

2009090700_Paul_Gauguin.jpg昨日、鬱積した憂いを払拭するがのごとく、皇后陛下も御覧になった竹橋にある東京国立近代美術館にて開催されている「ゴーギャン展」を見に行きました。
ゴーギャンについての私自身の知識は皆無に等しかったのでこの機会に彼の生涯を詳しく知りたいという知的好奇心がこの展覧会へ行く1つの動機付けでした。
彼の事をそんなに知りもせずに、何故私はゴーギャン展に惹かれたのでしょうか?
それは、何と言ってもヴィンセント・ヴァン・ゴッホとたった二ヶ月ではありましたが、「黄色い家」で同棲していたと言う事実があったことに他なりません。ゴッホ自身の表現を借りると、「彼の情熱は彼自身を遙かに超越している」と、言う事になります。あのヴィンセント・ヴァン・ゴッホをして、この様に言わしめたことが強烈な印象として、頭の片隅に残っていました。
そのゴッホの表現の如く、やはり、ゴーギャンは生涯を通して表現する事への圧倒的な情熱を持ち続けたことを思い知りました。
今回この展覧会でのメインテーマでもあり、上記の作品の画題でもあるゴーギャンによる言葉
「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」
は、物心ついたときから潜在的に、私自身が、自分へ問いかけ続けてきた言葉でもあります。
久し振りに旧友に会ったかの如くこの言葉を思い起こし、ああ本当は、自分はこのようなスケールの大きな事を考える人だったんだと、あまりに小心者に成り果てた自分自身を宇宙の果てから眺めているようなそんな雄大な気持にゴーギャンの作品群はさせてくれました。
何にせよ、気分転換の大切さを知り、そして、その効能を満喫できた秋晴れの一日でした。

 
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CABO Live At Blue Mice 芦屋

06 9月

2009年9月6日6:50 PM


前回のエントリーで御紹介したように、Caboが、先日8月29日芦屋市にあるBlue Miceと言うハコでライブを行いました。今年の5月10日に神戸のライブハウスVaritでの対バン企画へ出演して以来のライブでした。
2006年に始動したCaboは、3年目の活動を間もなく終えようとしています。3年目の活動の締めくくりが、来る9月19日19:30より、神戸のライブハウスVaritで行われる同じく対バン企画への出演になるのかは現時点では未定です。
1度でも、バンドといわれる幾人かの集団の中で音楽活動をされた方ならば、理解いただけるかと思いますが、同じメンバーで長期間活動を継続することはとても困難なことです。継続していくことが出来ないその理由は千差万別ですし、1つとして同じ事例はないと思います。
その事を考えた時、この3年間Caboの活動の場を与えてくださった方々、ライブに来て下さって応援いただいた方々、そして、何時も前向きに「やろう」と支えてくれたメンバーのSancoと、Makotoのご両人に一言で感謝という言葉で片付ける事が出来ない謝意を思わずに居られません。
何時も心の中でその様に想いながら、日頃は、中々ちゃんと表現出来ずにいるのでこの場で表明し、同時に今後も音楽道にそして、Caboの活動に精進していくことを決意します。

と、あまりに大それたことを言っても実現できなければ意味がないので、それは長期的なビジョンと言う事で、先ずは、現実的に可能な目標(これが即ち肩の力が抜けた音だったわけですが…)に関しては、そこそこ良いところを達成できました。繰り返しになりますが、これも、偏にSancoと、Makotoのご両人の協力によるものでした。そしてまた、一方ではMakotoも指摘しているように三者三様の課題も見えてきました。
色々あったけれど、気付いてみればこの様に、当たり前のことかも知れませんが、三人でアンサンブルを重ねる毎に、目前の課題を改善し別の次元で、新たに課題を見つけてはまた改善していくと言うことをこの3年間繰り返してきたんだなと、今までの経緯に想いを馳せる次第です。
筆末にはなりますが、当日ライブへいらしていただいた皆様、Blue Miceでの演奏の機会をいただきました青山さん、そしてライブの撮影をして下さった佐伯さん、この場を借りて御礼を申し上げます。ありがとうございました。

 
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残暑お見舞い申し上げます。

28 8月

2009年8月28日6:23 PM

Snow Leopard
梅雨が明けたかと思ったら、秋の風情を感じる今日この頃です。
皆様におかれましては、お元気にお過ごしでしょうか?
本日早速インストールした
Mac OSX Snow Leopard
が、あまりにも快適で、ついつい勢い余ってエントリを入れてしまう事となりました。
Mac OSX Snow Leopardインストールレポートに関してはTwitterにて行っているので参考にして下さい。
見ての通り、前回のエントリーは約3ヶ月前…
正に、「光陰矢のごとし」とは、よく言ったものです。
今年が半分以上過ぎて、ザックリと何をしてきたのか省みると、まず東京での仕事、そして、禁煙が続いています。今年に入ってたばこを吸ったのは、2月7日「えもしライブ」が終わった打ち上げの場での1本のみでした。
それは、深い喜びと、そして、悲しみの1本でした。
しかし、その事に拘る事無く今までやって来た、その事が禁煙が継続していることと決して無関係ではないと自分では思っています。
そして、明日は芦屋のBlue Miceと言うところでCaboとしてライブを久しぶりに行います。拘りのない、肩の力が抜けた音を目指します。
と、言うような状況で、相変わらずお陰様での人生を地道に歩んでおります。今後少しは、このブログにもエントリ頻度を増やしていきたいと思っています。一方で、ほぼ毎日あーだ、こーだと、Twitterでは呟いたりしておりますのでそちらの方も、宜しくお願いいたします。
それでは、季節の変わり目ですので、皆様お体にはくれぐれもお気を付け下さいませ。