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ゴールデンウィークあれこれ → 平成20年5月6日

10 5月

2008年5月10日5:18 PM

20080506_biwako_06_00.jpgGW最終日。気合いを入れて朝4時起き。琵琶湖へと向かう。いつもは、琵琶湖大橋辺りでくすぶっていたので、その日は前日にWEBで下調べをして石田川下流域にスポットを絞り込んだ。現場に到着したのは、朝6時ぐらいだっただろうか?眩しい朝日の中、石田川の上を鳥が気持ちよさそうに飛行していた。かなり早く到着したつもりだったが、ウェーダーを装着したアングラー達が既にバスを狙っていた。流石名だたるスポットだけ有り魚影は濃い。しかし、同時に魚たちのスレ具合も半端ではない。見えバス達は彼らが見えるその方向へ顔を向けただけで、水底の見えない場所へ潜ってしまう。時間が過ぎて、石田川北側にある漁港は、いつの間にか釣り堀状態となる。それだけ人がいたにもかかわらず、まともなバスをゲットしたのはいかにも見た目にベテランという感じのアングラー1名のみ。
釣果はともかくこの石田川漁港のすぐ北側には幅が1メートルぐらいの川があり、その川の透明度には感動しました。その川から琵琶湖へ無数の鮎たちが下り、気持ちよさそうに群れをなして縦横無尽泳いでいました。
20080506_biwako_11_00.jpg
この様な、美しい環境の中で微睡みたいなと、後ろ髪を引かれながら釣果を求めて場所を移動。
あまりのバスのスレ具合に辟易としたため水の透明度の低い近くの野池へ。思惑通り20cm程の小バスを何匹かゲット。恥ずかしながら、本日の自分の釣果はこの小バスのみとなる。一緒に同行した次男は同じサイズのバスを5匹ほどゲットする。
サイズには満足できなかったが、そこそこの数を釣ったのでバス釣りはココで一段落。
20080506_biwako_03_00.jpg
次に向かったのはびわ湖バレイでした。そんなに期待はしていなかったのですが、30万本植えたと言う水仙の花達は想像を絶する美しさでした。この日は、熱いぐらいの陽気でしたが標高1100mなので心地好いことこの上ありませんでした。蓬莱山迄の道のりはかなりの勾配でしたが、難なく登ることが出来ました。
そして、ここでも結局ホッコリする間なくさらなる釣果を求めて移動。

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ゴールデンウィークあれこれ → 平成20年5月4日

09 5月

2008年5月9日8:40 AM

おやつを食べるキャンディー思い返して見れば、私の人生の中において犬の存在は欠かす事の出来ないものです。私自身は記憶していませんが、家族のものの話によるとその昔私は当時飼っていたイングリッシュ・コッカー・スパニエルにやった残飯を一緒に食べていたとのことですから、犬へ対しての仲間意識は並大抵でないことが窺い知れます。「三つ子の魂百まで」とは好く言ったもので、今でも犬へ対しての想いは何ら変わりませんし犬が喜んでいる表情を見るのが好きです。(写真左は愛犬キャンディー)
柴犬こゆきちゃん
5月4日は、いつもお世話になっている"Dog Life • support"のお店CoCo cheerio「ココ・チェリオ」へ愛犬キャンディーの爪の手入れへ行きました。この「ココチェリオ」は、ペットの宿泊も対応しており、この日はちょうどGWで旅行などに行った家族の犬たちが一堂に会するという状況下にありました。
ジャック・ラッセル・テリア
店主のKさんもいつもは犬談義にお付き合い戴くのですが、この日ばかりは宿泊の犬の散歩でてんやわんやでした。そこで、宿泊中の犬たちの表情を撮影することにしたのですが、犬の撮影は困難を極めます。何と言っても人と違って、「はいポーズお願いします。」とか、「笑ってくださーい」とか言っても犬たちにはなかなか通じません。そんな中、撮影に応じてくれたのが柴犬の「こゆきちゃん」(写真右)とジャック・ラッセル・テリア(写真左名前は不明)でした。
シベリアンハスキー
そして、爪をキレイにしてもらったキャンディーと犬の社交場である芦屋川下流へ赴くと、そこには、多種多様の犬たちが人と戯れていました。そんな中で一際目をひいたのはアイリッシュセッターでした。残念ながら、あまりに動きが活発なのでカメラに納めることは出来ませんでしたが、その運動量は相当なものでした。この日の元気ナンバーワン犬間違いなしです。そのアグレッシブとも言える行動とは裏腹な温厚で人懐っこい表情がとても印象的でした。
この日の最後に出会った犬はシベリアンハスキー(写真右)でした。不思議なバイアイを持つシベリアンハスキー。もう夕暮れ近い薄暗い中恰もデビット・ボウイの如くその目を光らせていました。
この日、何と60匹以上の犬と出会うことが出来犬三昧の一日を過ごすことが出来ました。

 
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ゴールデンウィークあれこれ → 平成20年5月3日

08 5月

2008年5月8日8:15 AM

城山からの景色四月までのプロジェクトも何とか一段落。このゴールデンウィークはとにかく良く歩きました。まずは5月3日に近場の城山へ散策。(写真左は城山頂上から撮った眩しい新緑です)頂上への道中で見つけたのは、今年の1月19日にエントリーで紹介した「ヤマツツジ」でした。本当は今頃開花する筈のものなのですね。
極寒の中一輪だけ咲く「ヤマツツジ」は、得も言えぬ説得力がありましたが、今回見た「ヤマツツジ」は本来の慎ましやかな艶やかさを放っていました。(写真右は「ヤマツツジ」)
ヤマツツジ
幼少の頃から何回登ったかわからない城山ですが、頂上へ向かうルート下山するルートは刻一刻と変化してきています。特に高座の滝へ向かう下山ルートは阪神大震災の影響(崖崩れ)でその道は以前のような歩きやすさはなくなってしまいました。今回初めて試みた新しい下山ルートはその昔は存在しなかった頂上から芦屋川上流へ抜ける勾配が非常に急なルートです。頂上から鷹尾山方面へ向かって少し歩いた右手にあります
膝が笑ったキャンディー
恐らく送電のための鉄塔をメンテナンスするために作られたそのルートは人為的に作られた階段があるにはあるのですが、あまりに急な勾配が長く続くため下山した頃には膝が笑って止まりませんでした。また、一緒に行った足の短い愛犬キャンディーは階段を下りると言うよりは転がるように山を下りていきました。このルートを登れば足腰強化につながること請け合いです。今度又の機会にチャレンジしてみたいと思います。

 
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芳垣安洋×山本精一 ナンバジャズ in 京都

28 4月

2008年4月28日6:45 PM

20080427_Yasuhiro_Yoshigaki.jpg意識的になのか無意識なのか定かではないが、京都でのイベントに出かける機会が続く。
以前から従兄弟のS氏に誘われて楽しみにしていたこの「芳垣安洋×山本精一 ナンバジャズ」。
イベントが行われたのは、昨日で場所はCOCON KARASUMAという建物の3Fにある「『新しい美』『新しいヴィジョン』を提案する、今までにないアートスペース。」をコンセプトとしたshinbi-biのイベント会場(どちらかというとコンサート会場というよりはギャラリーです。)でした。
そのコンサート会場のステージ正面には、徐に、机の上に置かれた瓢箪。その上には、彼の鴨長明による方丈記の冒頭部分「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例なし。」このコンサートを象徴するかのようなオブジェ。
そして、そこに流れる空気は1970-80年代に京大西部講堂などにあった独特のあの雰囲気。それもそのはず、ギターの山本精一氏はあの伝説的なパンクバンドAunt Sally(西部講堂でのXTCライブ前座でした。)のPhewなどと活動するというキャリアの持ち主でもあるのです。
一方で、芳垣安洋氏は、山下洋輔氏、坂田明氏を始め巻上公一氏、カルメン・マキ氏等様々なミュージシャンと共演。その他、維新派、蜷川幸雄演出「マクベス」、文学座「アラビアンナイト」などの演劇や相米慎二、クリストファー・ドイルらの映画音楽制作にも携わるという多彩なキャリアを持った関西出身のドラマーです。
その二人が奏でる音楽は、勿論インプロヴィゼーションな訳ですが、特筆すべきなのは芳垣安洋氏のドラムを使って出せる音への試みでした。ドラムペダルのスプリングを引っ掻いて効果音にしてみたり、挙げ句の果てには自分のポケットから小銭を出してスネアドラムの上に置いてそのままスネアドラムをたたいてみたりと奇想天外な「ドラムで出せる音」への執念には負けました。
それにしても、やっぱり好きです。インプロヴィゼーション。
その時々の偶然性を味方とし、果敢に唯一無二の音を探し求めるインプロヴァイザー達。
芳垣安洋×山本精一両氏はこの夜二人が持つインプロヴァイザーとしての良質な音を熱く展開してくれました。
これからのスケジュールとして、5月にはフランスでの大友良英氏とのコンサートも決定しているようです。
両氏の益々の活躍を楽しみにしたいと思います。

 
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京都に蘇った貴志康一

17 4月

2008年4月17日6:57 PM

20080416_roots.jpgこれからの活躍が期待されていたのにもかかわらず1937年に28歳の若さで心臓麻痺のためその生涯を閉じたという音楽家、大阪府吹田市出身その後芦屋市にも居住した貴志康一氏。彼が作曲した作品は1949年日本人として初めて湯川秀樹氏がノーベル賞を受賞したその後の晩餐会で楽曲が流れるという栄誉を持つ。その様な、間もなく生誕100周年を迎える同氏の音楽が京都の「ちおん舎」という所謂伝統的京町家にてRootsというヴァイオリンとアコースティックギターのユニットにより再現されたその現場を目の当たりにする。(写真右は会場内の額装された墨蹟)
20080416_chionsha_00.jpg20年以上のお付き合いであるNさんに招待されて行ったこのコンサートは、私にとってとても不思議な因縁を感じるコンサートでもありました。
Rootsによる演奏は、アイルランド、スコットランドの楽曲から始まりました。もともとケルト人による音楽の大好きな私にとっては、それだけでも血が騒ぎます。そして、1部が終わり第二部の貴志康一氏の代表的な名曲である「竹取物語」「月」を続けて演奏。ヴァイオリンの平野有希氏は、どこか戯けた表情を持つフィドルの音を着替えて(衣装もドレスに替えられて)の素晴らしい編曲による楽曲を聴かせてくれました。ギターの天満俊秀氏は「もともとオーケストラを想定して作曲された楽曲をギターで演奏するには音が足りないというような、自分では納得がいかない事にたびたび遭遇し、約1年半を掛けて自分のオリジナル作品を手がける暇もないぐらいに貴志康一氏の作品群を編曲する事に集中しました。」曲の合間にこの様な逸話を語ってくれました。同氏によるとピアノなどで演奏されているどうしても出ない音を出すために独自のチューニングを編み出す必要があったとその苦労を述べられていました。そして、最後には彼の名曲Amazing Grace。この曲は、てっきり黒人精霊歌とばかり思っていましたが実はそのルートがアイルランド、スコットランドにあるとギターの天満俊秀氏はほぼ断言されていました。(実際には作曲者は不詳で色々な説があるとのことです。)
あれは、中学の時だったのでしょうかそれとも高校の時だったのでしょうか? I先生の音楽の授業で鑑賞した貴志康一氏の旋律を忘れていなかったことは私にとって大きな驚きでしたし、素晴らしい音楽とは人の脳裏に残るものであると実感しながら故郷を去ったのでした。

 
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